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11年目のごあいさつ


屋久島ヴィータキッチン店主の小林浩治です。
いつもありがとうございます。
2009年4月7日にお店をオープンさせて頂き、
お陰様でこの度、11年目を迎える事が出来ました。
屋久島には親戚はおろか、知人さへ一人もおらず、
その上、住むまでに一度しか訪れた事が無いと言う
とても無謀な移住ではありましたが、
屋久島のホテルからスタッフとしてのお声かけを頂き、
見知らぬ地で、妻と犬と新しい暮らしもありかなと来てはみましたが、
働き始めてから1年とちょっとで勤務先のホテルは倒産。
おまけにオーナーは行方不明となり、
私にとっては多額の未払い賃金だけが残り(苦笑)
僅かな時間でしたが、小説の素材にでもなりそうな経験をすることとなりました。
その後はお宿で皿洗いのアルバイト等をさせて頂きながら、いくつかの選択肢はありましたが、
現在の店舗とのご縁があった事と、愛犬が屋久島生活にすっかり親しんだ事もあり
先ずはどうにか生きて行く手段として、飲食店をはじめてみようと決断しました。
今ではどこかのレストランで修業でもしたかのように厨房で働いておりますが、
妻の小林恵は飲食店での勤務経験はありません(笑)
オープン当初は新しもの見たさで屋久島在住のお客様が多くおみえくださいましたが、
しばらくすると、とっても閑なお店になりました。
開店までに、1年ちょっと働いていましたが、
ホテルと家の往復だけでしたし、勤務も超×2ブラック。
その上、一緒に働くホテルスタッフもほとんどが移住者と言う事もあり、
実際の屋久島の生活スタイルを知る余裕はまったくありませんでした。
先ず、屋久島の人は外食しない。
冬は観光客がほぼほぼ来ない、それに伴い仕事が無くなるので、
観光業に携わる人はその間島を出る。
などなど判っていたら飲食店なんてしなかったのに!
(苦笑)
そんなサバイバルが暫く続き、
どうにか観光ガイドブックに取り上げて頂く事が出来、
※当時はこれが、先ず屋久島で飲食店を続けられるかの第一ハードルだったのです。
その次におこった現象が、
お客さん来過ぎ!!
※当時はまだ年間来島者マックスの40万人から減少し始めた頃でしたので、、、
夏になると毎日、ディナーが終わってからランチのお皿洗ってました。
そうなると人間勝手なもんで、やってられなくなるのです。
そんな数年が過ぎた時、それまでわからなかった事がわかったのです。
それは『人間、年をとる』と言う事。
そして明らかに屋久島の観光客、
そして島民もは減り続けている事。
このまま、一生同じ事は続けられないと感じました。
それから自分たちが続けられる方法を
先輩方へ相談したりしながらお店のスタイルを変え
どうにか今日まできました。
私事ですが結婚生活も32年が過ぎ、
東京10年、鹿児島10年、屋久島12年と気付けば
屋久島が一番長くなっちゃいました。
東京へは1986年に行きましたので、まだバブルの残像があり、
ずっと鹿児島に居ただけでは出来ない経験を20代でさせてもらいました。
鹿児島へ戻ってからは電話番で良いからと、酒屋さんを手伝い始めたら、今度はワインバブル!
シャトーマルゴーが普通だったし、行ったし(笑)そんな30代。
そして40代からの屋久島と言えば、
終わり方は悲惨なものでしたが、初めての観光地での勤めはとても良い経験となりました。
しかし、それからは、ただただ来島者数、右肩さがりの12年、、、
逆の面白さを味わせてもらってます。
幼少期から10代の鹿児島があって、東京があって又鹿児島があって今の屋久島生活がある。
産まれてからずっと積み重ねなんだろうなとぼんやりですが感じています。
聞いた事がある方もおられると思いますが、
『屋久島にはよばれる人と、よばれない人が居る』
私はまったくスピ系ではありませんが、
よばれちゃったんですかね???
でも、私には屋久島にずっと居続ける訳にはいかない夢があります。
夢と言えばかっこいいですが、正しくは心残りがあるのが本音です。
いや、お詫びだな。
60歳になったら、産まれてから二十歳まで、
私の根幹を作ってくれた天文館へ恩返しをするために戻る事です。
あと7年しかありませんし、それよりもあと7年、
屋久島で商いが続けられるかさえわかりませんが、
先ずは今、私達に出来る事を日々やり続けられたらと思っています。
そして、鹿児島と東京と屋久島と繋げる事業形態になればなんて希望ですけどね。
タンカンは海外にも伝えたいなぁ(笑)
最後になりましたが、屋久島を訪れて下さった皆様、
地域の皆様、遠くからも声援を下さった皆様、
事業継続発展の為にご支援頂いている関係各所の方々、
そして各分野のメンターの方々、
心より感謝申し上げます。
これからも屋久島ヴィータは
『戦わない商い』を基本とし、
『求められる屋久島、うらぎらない屋久島』
を目指して活動させて頂きます。
屋久島の発展なくしてヴィータの発展なし。
日本を代表する観光地となるために、
出来る事は全てやりたいと思っております。
すみません、なんだか変な締めになっちゃいましたが、、、

屋久島ヴィータ・キッチン
オレンジ・ヴォヤージュ
屋久島パスタラボ

の三兄弟、

小林恵 浩治

共々

今後とも宜しくお願い致します。